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(十六代当主 植田 貢太郎語る)
いつ頃からかこの界隈で商いをさせていただいているか、店のほうに享保八年(一七二三年)の時の町内の書き付けが残っております。その時から勘定いたしますと、だいたい三百年弱というところになりますでしょうか。その頃は蕎麦屋ではなく餅菓子屋のようなものを営んでいたようでございます。
元禄の頃は、菓子屋の副業として蕎麦屋も営む所が多く、それが江戸時代中頃から、蕎麦屋は蕎麦屋、菓子屋は菓子屋と分かれて発達していったところもございますし、手前どものように、蕎麦屋と菓子屋という古い形態のまま、ずっと今日に至っているという所もあるわけでございます。

現在、機械化はしてるんですが、全部オートメーションというわけにはまいりません。やはり人の手は必要です。

うちの場合は、父の代からのこだわりがあって、練るための攪拌器はかまぼこ屋さんがつこたはる石臼を使うんです。と申しますのは、練る時に粘りをだしたくないもんですから、容器自体に熱をもたんように石を使うわけです。
そういうこだわりがあるもんですから、なかなか完全には機械化というのはできないですね。

南蛮人から伝わってきた言葉としては「ほうる」でしたので、正しくはと申しますか、うちの商品名としては「蕎麦ほうる」となっております。
ただ、「ぼうろ」とした方が耳に馴染みはよろしいですね。ですからお客さんも「蕎麦ぼうろ」とおっしゃることが多いんですが、その辺はどちらでも結構ですと(笑)。ただ、看板の方は、「蕎麦ほうる」と濁らない書き方をしております。

あれはほとんど薬味でしか使いようがないような大根ですので、一時期作られなくなったこともありました。
今、うちの店でつこてるもんは鷹ヶ峰のほうで頼んで作ってもらっていますが、もし作っておられる所がなくなったら技術が何にも残らないわけですから、野菜自体がなくなってしまうおそれがあるんですね。

今、京野菜ブームで、またいろんな方が作られるようになりました。元々はどこでも手に入ったものが、需要がなくなってやめてしまって、今またどうやらブームで増えてくる。増えている時はいいんですが、需要が縮んだときに、どこが次に繋げるかということなんですね。そういう意味では、父がずっと続けたことは本当によかったと思っております。

現在、京都で同じ「河道屋」という屋号だけで、数軒残っております。そんな、のれん内でなにかやろうと父が言い出したものが、「吉田神社の年越しそば」です。
昭和二十七年の節分に「河道屋のれん」の名で始めまして、もう五十年以上になりましょうか。年を重ねるごとに、思いのほか大繁盛を頂きまして、今では冬の風物詩のように皆さんにおもっていただけるのは、本当に有り難いことと存じております。

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